文化財 《有形民俗文化財》

2011年8月29日


西彼杵半島猪垣基点 (県指定) 指定年月日:1968(昭和43)年4月23日

猪垣基点
所在地 西海町中浦北郷字木場197番地 地 図
文化財の概要

 (ししがき)とは、猪や鹿などの食害から田畑を守るため築かれた石垣である。

 文化財に指定されている玄武岩の基点石には「享保七□寅年」(1文字は約10cm角。□は剥げ落ちて解読できない部分)2行にわたる刻字がある。郷村記の中浦村の猪垣についての記事を意訳すると「外海の山に猪や鹿が繁殖して田畑の作物を荒らすので、村中の人々が協議して享保7年(1722)6月から石垣を築いた。この工事が達成すると、荒れた野原で田畑が余る程、出来上がるはずで、中浦村から工事を始めたところ、順を追って太田和、七ツ釜、多以良、瀬戸でも同様に工事がなされた。」となる。享保7年(1722)に工事が始められたという内容は、基点石の刻字と一致する。

 昭和51年(1976)の長崎県教育委員会による調査で猪垣は西彼杵半島の山地をほぼ一周するように築かれたことが判明している。猪垣の石材は、この基点石周辺では玄武岩(げんぶがん)が使用されているが、その他の所では結晶片岩(けっしょうへんがん)が主である。


このページの先頭に戻る

面高遠照院寺宝 5件 (市指定) 指定年月日:1980(昭和55)年2月25日

 
所在地 西海町面高郷 地 図  
文化財の概要

 遠照院は、慶長元年(1596)に京都仁王門通り北門前に、日蓮宗本山妙伝寺塔中として、最上院日頼上人によって創立されたが、明治28年(1895)、面高の日蓮宗信者たちの手により現在地に移された。寺宝として伝わるものは移転の折に京都よりもたらされたものといわれる。

 

(1)日蓮上人木造彩色尊像

京都本山妙伝寺にまつられていたという等身大の座像。胎内に「天文七年八月二十二日佛師運勢 寄進薬王興七某」と墨書きされているという。享保14年(1729)に大修理、昭和12年(1937)には補色修理がなされている。県下に現存する日蓮上人像では最古のものと考えられている。

(2)嵯峨天皇筆跡一葉一包

嵯峨天皇書写の経文を切ったもの。寸法は28cm×5cm

(3)日蓮上人筆跡くもした一葉一包

日蓮上人の真筆と考えられている。

(4)日蓮上人日蓮書写一切経之内、法華堂日蓮上人筆経文切忍性上人遺物の内、高山寺

日蓮上人の真筆と考えられている。

(5)銅造り誕生仏

誕生仏は、釈迦が生まれた時の姿をかたどった像である。この誕生仏は、高さ約15cm、肩幅約3cmの銅製で右手は地、左手は天を指している。


このページの先頭に戻る


五輪の塔(太田和) (市指定) 指定年月日:1980(昭和55)年2月25日

五輪の塔(太田和)
所在地 西海町太田和郷 地 図  
文化財の概要

 この地域で出土した五輪塔、印塔(ほうきょういんとう)が集められている。現在、五輪塔の火輪1点、水輪1点、地輪1点、印塔の相輪1点、笠1点、塔身1点、基礎1点が残る。五輪塔の地輪には「禅定門裡儀」「天文廿三年十一月」との陰刻が確認できる。石材はいずれも西彼杵半島産と推定される緑色片岩である。


このページの先頭に戻る


江川内の五輪の塔 (市指定) 指定年月日:1980(昭和55)年2月25日

江川内の五輪の塔群
江川内の五輪の塔群
所在地 西海町中浦北郷字江川内 地 図  
文化財の概要

 古くからこの地域で五輪塔が散在することは知られていた。道路工事の際に、竹林より「道秀」、「+」と刻まれた五輪塔が発見されたとされるが、現在は現地にない。付近には、五輪塔の空・風輪1点、火輪1点、水輪1点、印塔の笠1点が残る。

 石材はいずれも西彼杵半島産と推定される緑色片岩である。


このページの先頭に戻る

お問い合わせ

教育委員会
社会教育課 文化スポーツ班
電話:0959-37-0079
ファクシミリ:0959-22-9011