文化財 《 有形文化財 》

2014年3月27日

 

サブコンテンツ

 

 

 

浅間神社「敬神」の額 (市指定) 指定年月日:2007(平成19)年3月30日

浅間神社「敬神」の額(表)
浅間神社「敬神」の額(裏)
所在地 崎戸町蠣浦郷 地 図  
文化財の概要

 慶応3年(1867)、大村藩藩校(ごこうかん)教授松林飯山(まつばやしはんざん)の暗殺事件が起こり、勤皇派の家老針尾九左衛門も重傷を負った。この「大村騒動」(「小路騒動」ともよばれる)一連の事件の首謀者として大村藩の剣術指南役長井兵庫が処刑された。父兵庫の処刑に連座して大村城下に住んでいた厳雄と母、祖母、叔母、姉、妹の一家六人は蠣浦島に流罪となった。明治4年(1871)、廃藩置県により、一家は赦免となった。巌雄は妙経寺(西彼町白崎郷)の日澄上人や八木原小学校校長北村修蔵らの支援を受け、現在の長崎大学医学部の前身である長崎医学校に特待生として入学し、卒業後は東京で開業し医師となった。

 昭和11年(1936)、77歳の時、蠣浦島を再訪した厳雄は「敬神」と大書したこの額を浅間神社に奉納した。裏面には、「大村騒動」の経緯や流罪時の島民の扶助への謝辞が漢文でしたためられている。


このページの先頭に戻る


川島観世音菩薩立像厨子一式 (市指定) 指定年月日:1986(昭和61)年4月10日

川島観世音菩薩立像厨子一式
所在地 西彼町中山郷字川島 地 図  
文化財の概要

 『郷村記』の「大串村之内中山村」に「中山村鎮守観世音」として紹介されている。草創は不明であるが、寛永14年(1637(うるう)3月に大村彦右衛門純勝が再建し、妙経寺の勧請と記されている。現在、建屋内の厨子に観世音菩薩立像が安置されている。「厨子」とは礼拝対象の仏像などを納め、安置する屋根付きの工作物のことある。この厨子は高さ約97cm、幅約68cmの入母屋造で軒唐破風が施され、観音開きで全体に朱・青・金の彩色がなされている。

 観世音菩薩立像は、台座からの高さ約59cmの寄木造で、宝冠を着け、左手に蓮華を握り、右手は屈臂し、掌を前に広げ、金の彩色がなされている。


このページの先頭に戻る


伝「深澤與五郎幸可」肖像画 (市指定) 指定年月日:2014(平成26)年3月3日

伝「深澤與五郎幸可」肖像画 所在地 大瀬戸町松島 地 図  
文化財の概要

 この肖像画は、江戸時代に捕鯨業で栄えた松島深澤組の組主・深澤與五郎幸可(ふかざわよごろうゆきよし)(1656-1716)を描いたものとして、松島深澤組の菩提寺である正定院に伝世した。

 松島で鯨組を始めた深澤與五郎幸可は、深澤組宗家2代目儀太夫勝幸の養子で、元禄7年(1694)に松島の西泊(夏井の浦)に居宅を構えた。松島深澤組の捕鯨業は成功し、宗家を凌ぐほどの隆盛を誇った。

 描かれた初老の人物は、紋付羽織袴姿で右手に扇子を持ち、左腰には刀を差している。顔にはしわやしみがあり、全体的に極めて写実的に描かれている。松島深澤組の捕鯨の歴史を物語る貴重な文化財である。

このページの先頭に戻る

 


平島浄専寺の喚鐘 (市指定) 指定年月日:2015(平成27)年3月27日

平島浄専寺の喚鐘
所在地 崎戸町平島851番地 地 図
文化財の概要

この喚鐘が伝わる崎戸町平島の浄専寺は、寛文年間(1661年~1672年)に僧教心が開基し、寛文11年(1671年)に本願寺から本尊と寺号を免許されており、この時期は、深澤氏が平島で捕鯨業を始めた時期と一致する。本鐘には深澤儀太夫勝幸が鐘の新鋳を発願したこと、元禄3年(1690年)に山内氏が鐘銘を草したこと、また、勝幸から数えて三代目にあたる田島儀左衛門幸層により、本鐘が享保9年(1724年)に長崎在住の鋳造家として著名な安山(阿山とも)氏が鋳造したことを示す銘文がある。
この喚鐘には亀裂痕があり、享保12年(1727年)に平島で起きた火災の際に叩かれて、生じたものとも推測できる。本鐘は深澤氏と浄専寺の関係性を示す資料として、その来歴も明確である。

 

このページの先頭に戻る

 

お問い合わせ

教育委員会
社会教育課 文化スポーツ班
電話:0959-37-0079
ファクシミリ:0959-22-9011