Saikaiブログ

西海キリシタン歴史めぐりvol.3~ジュリアン出生の地・中浦

2017年5月29日

 

西海市内のキリシタンに関する史跡・地域をめぐり、ご紹介する

「西海キリシタン歴史めぐり」シリーズ。

 

今回は、西海町中浦地区をめぐります。

 

 

「中浦城跡 城ノ山」から見た中浦地区と五島灘。 

 

 

1回目に引き続き、案内していただくのは… 

 

市内にとどまらず長崎県のキリシタンの歴史にも詳しい

西海史談会事務局長 岸本 徹也さんです。

 

 

 

 

■日本人史上はじめてヨーロッパに渡った少年「中浦ジュリアン」

 

みなさんは、「中浦ジュリアン」という人の名をご存知でしょうか?

 

     

 

ハーフの方、ではありませんよ。

ジュリアンは洗礼によって授けられた名前です。

 

中浦ジュリアンは、

肥前国中浦(現・西海町中浦)の領主・小佐々 甚五郎(こざさ じんごろう)の子といわれ

中浦の地に生まれた、とされています。

詳しくはこちらのHP

七釜鍾乳洞探訪と中浦ジュリアンの足跡をたどる「中浦の宝」

 

 

彼は今から435年前、およそ14歳という若さで

他3人の少年と一緒に九州のキリシタン大名からの命を受け

日本人として初めての「使節」としてヨーロッパへ渡りました。

それが「天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)です。

 

 

「中浦ジュリアン記念公園」内の壁画より。

使節を連れて渡った「巡察師ヴァリニャーノ」と少年たち(中央)、大海原での航海(右)の画。 

 

 

渡欧した目的は、 

・カトリック宗派の最高位であるローマ教皇への謁見

・キリスト教世界について見聞を広げ、その後日本での布教に役立てること

 

結果として、ヨーロッパの文化・習慣を持ち帰っただけではなく

彼らによって“日本の文化” 日本人について

現地の人々に広く知らしめたのでした。

 

 

「中浦ジュリアン記念公園」内の壁画より。ローマ教皇への謁見(左)、帰国後の使節の活躍(右)の画。 

 

 

実は、厳しい禁教時代を描いた小説「沈黙」(遠藤周作・著)にも

歴史上の関わりがある人物なのです。

 

「沈黙」に登場する宣教師フェレイラは実在の人物で、

厳しい拷問の末、キリスト教信者をやめてしまう(棄教)のですが

その同じ拷問(穴吊りの刑)にかけられ、殉教を遂げたのが

中浦ジュリアンである、といわれています。

 

 

そこで今回は、

日本史上初の“外交使節”という偉業を成し遂げ

キリスト教の布教と人のために尽くした「中浦ジュリアン出生の地」

西海町中浦地区をめぐります。

 

  

■中浦ジュリアン、封印された“偉業”と地名に残された“歴史”

 

中浦を散策するのにオススメなのが…

「さるくまち西海マップ」の中浦MAPです

 

 

中浦MAP.pdf(10MB) 

 

今回はこの地図をもとに、旧国道を中心にめぐりました。

 

 

まずは、中浦ジュリアン出生の地とされる

「中浦ジュリアン記念公園」からスタート!

 

 

「中浦ジュリアン記念公園」は、ジュリアンの居住跡とされる場所に2002年に建てられました。 

 

遥か海の先、ヨーロッパを指差すジュリアンの像。

 

 

ジュリアン公園から望む七釜港と五島灘の景色。 

 

公園から徒歩で2~3分のところにある、天正遣欧少年使節400周年記念で立てられた

「中浦ジュリアン顕彰碑」。

 

 

ジュリアン公園から望む美しい五島灘を眺めていると、

“ふと”した疑問がわいてきました。

 

「中浦には、キリシタンの歴史を物語る教会もお墓もないけど…

地元の人には何か伝えられていたのだろうか?」

 

 

中浦に生まれ育った岸本さんに聞いてみたところ

答えは「NO」。

中浦にキリシタンの方はおらず、あるのは神社と寺だけだそうです。

 

岸本さんいわく、西彼杵半島で最も古いお宮「八大龍王宮(はちだいりゅうおうぐう)」。

宗像神社のすぐ裏に隣接しています。

 

 

宗像神社(左)と神社から望む七釜港(右)

 

 

中浦の地元の人々にもキリスト教に関する歴史は伝承されていない…

どうしてなのでしょうか?

 

「何一つ残されていない、これこそ“禁教の歴史”なのです。」

と岸本さん。

 

ジュリアン殉教後、厳しくなっていく禁教令による取締りで

大村領内には多くの寺が建立されました。

 

新たにキリシタンとなる者を出さないよう、

人々に仏教への信仰を強く浸透させたのです。

 

また、人々の間には「村々制法(むらむらせいほう)といわれる

厳しいルールが課せられ

・近隣住人が「5人組」となり、キリシタンがいないか厳しく見張る

・同じ組から取締りを受ける者が出た場合は連帯責任で罰せられる

・決められた日に神仏への務め(参拝、清掃、念仏講など)へ必ず参加

といったルールが厳しく行われていたそうなのです。

 

 

宗像神社の下には、宮ノ下という船着場が残っています。

 

 

マンガで描かれた中浦ジュリアンの伝記では、この海辺で幼いジュリアンが遊んだ場面が描かれています。

 

 

厳しいルールのもと、住民どうしが目を光らせ

徹底的にキリシタンの一掃が行われていたのですね。

 

住み続けることが難しくなったキリシタンの人々は、

五島などへ移り住んでいったといわれています。

 

 

かつてはバスも通っていた、旧国道。

色々なお店もあり賑わいがあったそうですが、現在は静かな住宅地となっています。

 

キリシタンに関する記録や伝承は残されていないものの、

中浦の地がキリシタンであった領主に治められていたことを物語る

地名は残されています。

 

<中浦に残っている地名>

・館(たち)=領主の居住跡 ・御園(みその)=領主の菜園

・垣内(かきうち)=館を中心にした一体の集落

・城ノ山(じょうのやま)=領主の山城跡

 

 

 城ノ山は現在の国道202沿いにあります。

 

 

急な坂道を登ると、中浦の地域と七釜港が一望できます。 

 

 

これまで閉ざされてきた禁教の歴史をひも解き、

潜伏キリシタンが守ってきた信仰の伝統を世界文化遺産にしよう!

と進められている昨今。

 

中浦ジュリアンについても、

地元・中浦から遠ざけられていた時代、

後に信仰が自由となりその歴史が明らかになって近づいてきた時代、

どちらの時代も語り伝えていきたい、と語ってくれた岸本さん。

 

 

 

「かつての日本は鎖国や禁教で、

異国の文化や考えをまったく受け付けなかった時代もありました。

しかし、これまで国が大きく進歩するきっかけの多くは

外国からもたらされたものが多かったはずです。」と、岸本さん。

 

異文化に対して受身になるのではなく、

中浦ジュリアンのように

日本の良い部分は自覚しつつ、主体的に異文化を取り入れ

違う考えを持った人々と交流していく姿勢

は、現代人も見習うべきではないか、と語ってくれました。

 

 

 

「天正遣欧少年使節」の出身地である

長崎・宮崎県の4地域に住む中学生が、交流をしながら歴史を学ぶプログラム

 「天正遣欧少年使節ゆかりの地」交流事業が毎年夏に開催されています。

 

 

 昨年の様子。西海市からは4名が参加し、中浦ジュリアンについて発表を行いました。

 

今年の研修地はポルトガル!

西海市からも中学生が派遣されます。

現代の少年・少女たちも、異国の地でたくさんのことを見て聞いて

多くの刺激と学びを吸収してくることでしょう!

 

 


【今回のコース】

(1)中浦ジュリアン記念公園  西海町中浦南郷 TEL:0959-37-0079(社会教育課)

(2)中浦ジュリアン顕彰碑      

(3)宗像神社・八大龍王宮 

(4)小浜港

(5)北条屋屋敷跡【大村藩家臣の屋敷跡】

(6)村堤跡【稲作用のため池跡】

(7)中浦城跡 城ノ山

(8)楠本長三郎生家跡【中浦出身、大阪帝国大学第2代総長】

(9)江川港・南風崎(はえのさき)

 

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