Saikaiブログ

大村藩天文方・峰 源助の尽力と活躍~第2回ふるさと発見講座

2017年12月28日

 

 

西海市の歴史を学び、ふるさとの新たな魅力を発見しよう!

と、3回にわたって開催される「ふるさと発見講座」。

 

 

 

1216日には第2回目となる

「江戸時代の天文学と大村藩~峰 源助と『郷村記』」開催されました。

 

 

講師は、熊本県立大学文学部 准教授の平岡 隆二先生です。

 

 

 

平岡先生は、大阪府出身。

2005年~12年、「長崎歴史文化博物館」で研究員としても

調査・研究に携わりご活躍されていました。

 

 

今回のテーマは、大村藩の天文方・峰 源助(みね げんすけ)

この名前を知っているあなたは、相当な歴史通!かもしれませんね。

 

 

画像提供:AC

 

峰 源助とは・・・

 

◆江戸で5年間の天文暦学・測量技術の修行を積み、当時の最新技術を

  大村藩に持ち帰った人物。

 

◆帰藩後、大村藩領内の様々なデータ(土地の広さ、石高、名所旧跡の由緒等)

  まとめ上げた「郷村記(ごうそんき)」の完成に尽力した人物。

 

 

 

 

「郷村記」は、源助が生まれるずっと前から

大村藩が編さんを続けてきた一大プロジェクト。

途中、源助が調査役として加わり、180年の歳月をかけ完成しました。

 

当時の大村藩が、国内で高い科学技術をもっていたことの

あらわれとも言える資料です。

 

 

 

 

 

■地図の転写は命がけ?!勉学も困難だった鎖国時代

 

 

 

当時最新の天文暦学は西洋諸国が中心。

書物も豊富でしたが、キリスト教的な考えにも関連する書物は

日本国内への輸入が禁じられていました。

  

インターネットなど世界中の情報が簡単に手に入る現代とは違い、

源助が学んでいた時代とは、限られた情報を1つひとつ集め吸収してこそ

学問をなしえた時代だったのです。

 

 

 

 源助は江戸での修行中、当時「秘図」とされていた

伊能忠敬作の地図に出くわします。

 

国防に細心の注意を払っていた「鎖国」当時の日本にとって、

地形が明らかな地図を簡単に見たり、写したりすることは

禁じられていました。

(1828年シーボルト事件では、日本地図を国外へ持ち出す手助けをした人物たちが

重い処罰を受けたことで有名。)

 

しかし、師匠の許しを得た源助はこの伊能図を転写。

「今後、門外不出にする」という師匠との約束のもと、

重い処罰のリスクも覚悟の上で書き写したのです。

 

 

 

 

天文暦学は、江戸時代の国にとって農業や治世を支える

大きな役割を果たしました。

 

今回講座の中で紹介された資料やエピソードから、

源助の強い探究心と当時の活躍を知ることができました。

 

 

 

■次回はいよいよ今年度の最終回!

 

 

画像提供:AC

 

3回ふるさと発見講座「大串金山について」

・日時:2018217() 1315

・場所:西彼教育文化センター(MAP)

 

こちらも、ぜひご参加ください♪

 

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電話:0959-37-0079
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