Saikaiブログ

外海から五島・平戸へ潜伏キリシタンの移住~第3回ふるさと発見講座

2018年11月26日

 

 

 

119日、西海公民館にて

今年度3回目となる「ふるさと発見講座」が開催され

50名と多くの市民のみなさんにご参加いただきました。

 

テーマは、

「外海地方から五島・平戸への潜伏キリシタンの移住」。

 

 

 

今年6月に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」には

この西海市内の地域は含まれていません。

しかし、潜伏キリシタンの人々が暮らしていた歴史は確かにあり

関わりがまったくないわけではないのです。

 

18世紀終わりの江戸末期、禁教下にあった

大村藩の外海地域(今の長崎市外海地区~西海町面高地区)では、

潜伏キリシタンの農民たちが海を渡り、五島・平戸地域へ移住していた

という歴史があります。

 

移住の理由は?禁教下での信仰を守り抜くためなのか?

 

教科書では語られていない、潜伏キリシタンたちが移住を行った

“本当の理由”について講師の岩崎 義則先生(九州大学人文学科研究院)

お話いただきました。

 

 

 

岩崎先生は大分県ご出身。

江戸時代の長崎の貿易、平戸藩の歴史や、外海の潜伏キリシタンの移住

専門に研究されています。

 

 

 

■潜伏キリシタン=百姓たちの移住は「人口政策」

 

 

生まれ育った地を離れ、海を渡り五島・平戸の島へ

移り住まなければならなかった理由。

 

岩崎先生は、当時の資料から

「大村藩の人口政策」を大きな理由の1つに挙げました。

 

当時の外海地方は、大村藩内でも群を抜いての人口過密地帯。

キリスト教と入れ替わるように外海で広まった仏教(浄土真宗)では

子どもの間引きが禁止されており、人口増に拍車がかかりました。

 

神浦村(今の長崎市神浦地区)だけでも5,500人近く、

瀬戸村で約4,000人、多以良~面高の地域で6,000人。

現在の大瀬戸町と西海町の全人口(13,000)と比べても

多かったことがわかります。

 

さらにほぼすべての人が田畑を耕し、

食料を得る農民だったことを考えると土地が足りません。

 

大村藩での土地相続の制度上、1人ひとりに十分な土地が

分け与えらなかったことから、生活基盤の不安定さも

移住に至ったやむを得ない理由だと先生は解説くださいました。

 

 

 

2時間の講演に参加した市民のみなさんは熱心に耳を傾け、

最後には先生への質問にも手が挙がりました。

 

 

信仰上の理由からだけではない、

藩の政策や農民たちが生き残る術としての移住。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の歴史的背景が

より広い視野で学ぶことができ、西海の歴史の奥深さを改めて知れた講座でした。

 

来年度以降も西海市「ふるさと発見講座」では、

市民のみなさんにとって身近な歴史・自然について

分かりやすく学べる講座が開催されます。

 

参加費は無料ですので、ご興味ある講座にはぜひご参加ください!

お問い合わせ

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社会教育課
電話:0959-37-0079
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